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バットフィッシュ (潜水艦)

バットフィッシュ (潜水艦)
バットフィッシュ (潜水艦), by Wikipedia / CC BY SA 3.0

#バラオ級潜水艦
#1943年竣工船
#アメリカ合衆国の博物館船
バットフィッシュ (USS Batfish, SS/AGSS-310) は、アメリカ海軍の潜水艦。
バラオ級潜水艦の一隻。
艦名は西インド諸島に生息するマンジュウダイ科ツバメウオ属や大西洋に生息するセミホウボウ科、アカグツ科などに因んで命名された。
いずれも左右の胸鰭または上下の背鰭と腹鰭が長く、コウモリの翼に見立てている。
当初はニベ科ナガニベ属(英名Weakfish)のフランス語総称に因みアクーパ (Acoupa) と命名予定であったが、1942年9月24日にバットフィッシュと改名された。
ツバメウオ(Longfin batfish) ニシセミホウボウ(通称Batfish) イガグツ(Atlantic batfish) バットフィッシュは1942年12月27日にメイン州キタリーのポーツマス海軍造船所で起工した。
1943年5月5日にネリー・W・フォティア夫人によって命名、進水し、8月21日に艦長ウェイン・ルッカー・メリル少佐(アナポリス1934年組)の指揮下就役する。
竣工後、バットフィッシュは真珠湾に回航されて哨戒準備に入った。
12月11日、バットフィッシュは最初の哨戒で日本近海に向かった。
12月15日にミッドウェー島に寄港して給油した後、哨区に到着した。
1944年1月14日、バットフィッシュは北緯30度48分 東経135度17分 / 北緯30.800度 東経135.283度 / 30.800; 135.283の伊豆諸島南方で暴風雨に悩まされながら充電していた。
その時、レーダーにより3個の目標が近づいてくるのを確認した。
これはトラック諸島から引き揚げてきた戦艦大和と護衛の駆逐艦藤波、朝雲であった。
しかし、この暴風雨で藤波と朝雲はついていくのがやっとであった。
バットフィッシュは大波をものともせず充電しつつ大和のいる方向に接近して行った。
大和も距離18,000メートルのところにいるバットフィッシュの存在に気づいて、砲戦用意をしつつ欺瞞航路を取った。
バットフィッシュの元には司令部から「戦艦大和が向かっている」との情報が改めてもたらされ、先回りして待ち伏せすることとした。
ところが、ここに来てメリル艦長が「戦艦の主砲の射程圏内に入ったら潜航する」と弱気なことを言い出した。
戦艦に乗艦経験のある部下のモルテーニからの説得や抗議も、弱気の虫になっていたメリルの耳には入らなかった。
バットフィッシュは距離16,000メートルまで接近した後、大和への攻撃をあっさりとあきらめた。
1月20日には、室戸岬南方180海里の地点で海軍徴用船日高丸(日本郵船、5,468トン)を撃沈した。
1月30日、バットフィッシュは50日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。
大和攻撃の一件でメリル艦長に意見具申し却下されたモルテーニが、メリル艦長とともに勤務することを嫌って転属願いを出し、バットフィッシュを去っていった。
2月22日、バットフィッシュは2回目の哨戒で日本近海に向かった。
しかし、この哨戒ではサンパンしか船を見ず、攻撃機会もなく戦果を挙げることはなかった。
4月15日、バットフィッシュは53日間の行動を終えて真珠湾に帰投。
整備を受け、5月10日に3回目の哨戒の準備のためにミッドウェー島に向けて出港。
14日に到着した。
翌15日、突然メリル艦長は艦長の任を解かれ、後任の艦長にはジョン・K・ファイフ(アナポリス1936年組)が就任した。
乗組員のケイン・ムティニーが最初の哨戒でのメリル艦長の不甲斐なさを司令部に報告し、司令部スタッフのヒンソンがそれを受理したのであった。
解任されたメリル艦長は、再び潜水艦部隊には戻ってこなかった。
5月26日、バットフィッシュは3回目の哨戒で日本近海に向かった。
6月22日、バットフィッシュは北緯34度36分 東経137度56分 / 北緯34.600度 東経137.933度 / 34.600; 137.933の地点で長良川丸(日下部汽船、886トン)を撃沈。
7月1日にもマリアナ諸島方面の北緯31度26分 東経141度11分 / 北緯31.433度 東経141.183度 / 31.433; 141.183で特設監視艇神威丸(三重県、138トン)と小型貨物船第五五十鈴川丸(大西盛、226トン)を撃沈した。
7月7日、バットフィッシュは43日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
駆逐艦五月雨 8月1日、バットフィッシュは4回...



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